「田所さん」(吉本ばなな)

「バブル景気」という一つの時代の徒花

「田所さん」(吉本ばなな)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

「日本文学100年の名作第9巻」新潮文庫

田所さんは
きっちりと十時にやってきて、
六時に帰る。
席に座ってコーヒーを飲んだり、
本を読んだり、
誰も電話に出ない時に
電話に出たり、頼まれて
コピーをとったりしている。
やけにお肌がつるりとした
おじいさんだが、多分…。

ろくに仕事もしないのに、
給料をもらっている。
それでも田所さんは、
現社長の親以上の存在であり、
また、周囲もその存在を
好意的に見ているのです。
「彼がいることで皆少しは
 この世を好きでいられる。
 自分の善意を確認できる。
 それはいいことでも
 悪いことでもない。
 ただ人として
 とても必要なことなのだと思う」

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今日のオススメ!

2000年に発表された
吉本ばななの本短篇は、
ほのぼのとした読後感に包まれる、
不思議な温かさを持った作品であり、
このような人が職場にいれば、
さぞかし居心地の良さを
感じられるのではないかと
想像してしまいます。
しかし冷静に考えたとき、
2022年の現代社会に、
そのような人間が職場にいたら、
周囲はどのように
感じるのだろうかという疑問にも
突き当たってしまいます。

さて、本作品発表前後の
日本の社会を見てみると、
「雇用」についての考え方が
大きく変わってきていることに
気づかされます。

本作品発表の約10年前、
1987年から1992年頃に
巻き起こったのは「バブル景気」でした。
「土地の値段は下がらない」という
土地神話によってもたらされた、
実体を伴わない空前の好景気です。
日本の1人あたりの国民所得は
アメリカに次ぐ第2位となり、人々は
東京都内のマンションを買い求め、
さらにはリゾート開発も
隆盛を極めた時代です。
この頃でしょうか、
「お金ではない、
これからは心の時代だ」と
ささやかれ始めたのは。

その後、バブルは弾け、
景気は急激に後退します。
バブル崩壊から
2000年以降までの時期には
新規雇用が抑制され、いわゆる
「就職氷河期」時代が到来します。
その頃であっても、
すでに雇用されている
正規社員については、
各企業において
雇用を守る努力がなされています。

しかし2010年には
非正規雇用の割合が
全労働者の3割以上を占めるに至り、
さらには正規雇用者の賃金も
抑制されたまま、現在に至ります。

バブル期には
「心の時代」を求めた人々も、
21世紀に入り、
「一億総下流時代」の到来以降は
再び「金による豊かさ」を
求めるようになりました。
本作品発表の2000年という時代は、
バブル崩壊後も消え残っていた
「心の時代」渇望の、
最後の一時期だったのかも知れません。
現代とは
かみ合わなくなった作品なのか、
それとも現代だからこそ
読まれるべき作品なのか、
私には今ひとつ判断できませんが、
こうした視点から捉えたとき、
本作品は「バブル景気」という
一つの時代の徒花であり、
まさに時代を映す鏡であったことには
間違いありません。
わずか20年の時間の経過ですが、
本作品を通して時代の変化を
感じずにはいられません。

〔関連記事:吉本ばななの作品〕

〔本書収録作品一覧〕
1994|塩山再訪 辻原登
1995|梅の蕾 吉村昭
1996|ラブ・レター 浅田次郎
1997|年賀状 林真理子
1997|望潮 村田喜代子
1997|初天神 津村節子
1997|さやさや 川上弘美
1998|ホーム・パーティー 新津きよみ
1999|セッちゃん 重松清
1999|アイロンのある風景 村上春樹
2000|田所さん 吉本ばなな
2000| 山本文緒
2001|一角獣 小池真理子
2001|清水夫妻 江國香織
2003|ピラニア 堀江敏幸
2003|散り花 乙川優三郎

(2022.11.3)

sebastian del valによるPixabayからの画像

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